霊の値打ち

「人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる。」(箴言 16:2)

私たちは自分の行いが純粋だと思い、他人に行いが純粋に見えたりする。しかし私たちの主なる神は、私たちの霊の値打ちを量られる。

私たちの霊の値打ちとなんだろう?どのように量るのか?私たちが霊の部分でどのように生きてきたか、ということかもしれない。つまり神を信頼して歩んできたのか、人には見えない部分でどのように生きてきたかである。

心の中で何を思い、どのように神を信頼して歩んできたかを神がご覧になり、私たちを評価されるのだろうか?それによって天に積まれる宝や報酬の量や質などが変わるのだろうか?

主は私たちの肉眼では見えないお方であるが、私たちの心の中はご存知である。私たちが主を信頼し続けて歩むことで主は私たちを導いてくださる。何よりも主の恵みと祝福が注がれていることに感謝して歩みたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちの心、魂、霊を見ておられます。あなたを信頼して歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。