拒否された時

アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。(サムエル記 第二 17:14)

私たちの提案が却下されたり、私たちの善意が報われず仇となったり、思い通りにならないことが起こる。

アヒトフェルは賢明な人物であった。「当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。アヒトフェルの助言はすべて、ダビデにもアブサロムにもそのように思われた。」(サムエル記 第二 16:23)

しかし、アブサロムは言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。助言そのものは最も正しかったに違いない。だだ、主がその決断に介入されたため、アヒトフェルの助言は却下となった。

アヒトフェルは、自分の助言が実行されないのを見ると、ろばに鞍を置いて自分の町の家に帰り、家を整理して首をくくって死んだ。彼は彼の父の墓に葬られた。(サムエル記 第二 17:23)

私たちの進言や提案が通過しない場合がある。もし議論を戦わせず一方的に決めるのなら、それは独裁的なものとなる。恣意的な判断は良くない。しかし数名の意見で却下となった場合、客観的な視点から見て良くないという判断になり、より良い案が出てくる可能性が高まる。

何よりも最終的に主の許し無しには何も起こらない。「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。」(箴言 16:9) 主が私たちの歩みを確かにされる。主の導きに委ねて歩みたい。

愛する天のお父様、私たちの計画はすべてあなたが確かなものにしてくださいます。あなたに従い続けます、主イエスキリストの御名によって、アーメン。