用意せよ

「だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。 主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。」(マタイによる福音書 24:44-46)

主イエスはご自身の再臨についてこのように話された。

「そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」(マタイによる福音書 24:30-31, 44)

イエスは思いがけない時に、まるで盗人が来るようにして来られる。だから私たちはいつ主が再臨されても良いように準備しておくことが大切だ。

ということは、私たちの生き方が主の前に忠実であることが大切だ。主は言われた。「主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。 よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。」(マタイによる福音書 24:45-47)

では、私たちが忠実てはない生き方をしている場合はどうだろうか?主は言われた。「もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、 その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、 その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、 彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。」(マタイによる福音書 24:48-51)

私たちはいつ主の日が来ても良いように準備できているだろうか?終わりの日がまもなく来る。その日が今日なのか明日なのかは私たちにはわからない。主はこう言われた。「いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。 そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」(マタイによる福音書 24:32-33)

終わりの日は迫っている。いつ主が来られても良いように心の備えをしておきたい。

愛する天のお父様、あなたの救いを感謝します。日々の歩みがいつもあなたの心と共にあり、忠実でありますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。