心を盗む
「アブサロムは王にさばきを求めて来るすべてのイスラエルびとにこのようにした。こうしてアブサロムはイスラエルの人々の心を自分のものとした。」(サムエル記下 15:6)
アブサロムは父ダビデに対する人々の敬意を盗み。人々の心を父ダビデではなく、自分のものとした。これは多くの人々が父ダビデを尊敬し、アブサロム自身には何も無かったからである。
尊敬を与えられるものであり、自然発生によるものであるが、人々の心を自分自身に向けさせることで、人々の敬意を自分自身向けさせ、さらには自分自身を高めようとしていたのである。
私たちの人生でも同様なことが起こる。フェアプレーを目指す時にアンフェアなプレーをしてまで勝ちにこだわる。集団で横入りをする人たちに対して声を上げられず尻込みしてしまう。寛容な扱いをしていると、それを良いことに私利私欲のため入り込み、自分自身のアジェンダに持って行く。モラルのない行動が日常茶飯事になると、ルールを作ろうという話になってゆく。
私たちは他人を敬う行動ができるかどうか問われる。古今東西、尊敬は美徳として重視され、人間関係の鍵とされる。他人に仕える心を持つなら、私たちは他人のものを奪ったり、また不敬な行動から免れる。
私たちの人生を贖い、私たちに勝利を与えてくださった主は私たちのすべての栄光を受けるに相応しい。栄光と誉れは主のものであるから、主を賛美し、主に栄光をお帰ししたい。
愛する天のお父様、あなたは栄光あふれるお方です。あなたへの賛美が止むことがありませんように。あなたの救いとあがない、祝福を感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。