主の御心と計画を知る

「どうぞ、はしためのとがを許してください。主は必ずわが君のために確かな家を造られるでしょう。わが君が主のいくさを戦い、またこの世に生きながらえられる間、あなたのうちに悪いことが見いだされないからです。 たとい人が立ってあなたを追い、あなたの命を求めても、わが君の命は、生きている者の束にたばねられて、あなたの神、主のもとに守られるでしょう。しかし主はあなたの敵の命を、石投げの中から投げるように、投げ捨てられるでしょう。 そして主があなたについて語られたすべての良いことをわが君に行い、あなたをイスラエルのつかさに任じられる時、 あなたが、ゆえなく血を流し、またわが君がみずからあだを報いたと言うことで、それがあなたのつまずきとなり、またわが君の心の責めとなることのないようにしてください。主がわが君を良くせられる時、このはしためを思いだしてください」。」(サムエル記上 25:28-31)

これはカレブ人ナバルの妻アビガイルがダビデに言った言葉である。ダビデがナバルに対して好意を示し、ナバルにも好意を求めた時、ナバルは「ダビデとはだれか。エッサイの子とはだれか。このごろは、主人を捨てて逃げるしもべが多い。 どうしてわたしのパンと水、またわたしの羊の毛を切る人々のためにほふった肉をとって、どこからきたのかわからない人々に与えることができようか」。」(サムエル記上 25:10-11)と言って断った。

そこでダビデは四百人の従者たちに「おのおの、つるぎを帯びなさい」と言った。(25:13) 

すると、ナバルの妻アビガイルは急いでパン二百、ぶどう酒の皮袋二つ、調理した羊五頭、いり麦五セア、ほしぶどう百ふさ、ほしいちじくのかたまり二百を取って、ろばにのせ、 若者たちに言った、「わたしのさきに進みなさい。わたしはあなたがたのうしろに、ついて行きます」。

アビガイルはダビデを見て、急いで、ろばを降り、ダビデの前で地にひれ伏し、 その足もとに伏して言った、「わが君よ、このとがをわたしだけに負わせてください。しかしどうぞ、はしために、あなたの耳に語ることを許し、はしための言葉をお聞きください。 わが君よ、どうぞ、このよこしまな人ナバルのことを気にかけないでください。あの人はその名のとおりです。名はナバルで、愚か者です。あなたのはしためであるわたしは、わが君なるあなたがつかわされた若者たちを見なかったのです。 それゆえ今、わが君よ、主は生きておられます。またあなたは生きておられます。主は、あなたがきて血を流し、また手ずから、あだを報いるのをとどめられました。どうぞ今、あなたの敵、およびわが君に害を加えようとする者は、ナバルのごとくになりますように。 今、あなたのつかえめが、わが君に携えてきた贈り物を、わが君に従う若者たちに与えてください。」(25:18-19, 23-27)と言った。

アビガイルはダビデに「主は必ずわが君のために確かな家を造られるでしょう」と言った。これはダビデの家のこと、強いては御子イエスキリストの誕生と働きを示唆する言葉であった。

アビガイルがダビデに「主がわが君を良くせられる時、このはしためを思いだしてください」と言ったが、ナバルが主に撃たれて死ぬと、ダビデはアビガイルを娶り、アビガイルはダビデの妻となった。(25:40,42)

アビガイルはダビデの唯一の妻ではなく、そこは神の結婚の定めとは違うため、なぜ神がこのようなことを許されたのかはわからない。人々の罪や問題を通して主はご自身の計画を進められるから不思議である。

神の御心や神の祝福を求める姿勢は私たちの学ぶべきところではないか。今日も主の御心を求め、主が祝福されること喜んで受け入れていきたい。

愛する天のお父様、あなたの御心とあなたのご計画を知って歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。