イエスの死とイエスのいのち

「私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それはまた、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において現れるためです。こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働いているのです。」(コリント人への手紙 第二 4:10-12)

私たちは、いつもイエスの死を身に帯びている。イエスの死とは、悲しく絶望的なものではなく、むしろイエスのいのちが私たちの身に現れるための、喜ばしきものである。死が喜ばしきものであるのは、イエスが死に打ち勝ったお方であり、死を通して命に至ることができるからである。

イエスの死とは、イエスのために絶えず死に渡されている状態であり、私たちのうちに働いているものである。私たちはやがて肉体の死を迎えるが、イエスの死によって永遠のいのちを得ているのなら、肉体的な死の後に、霊的な命を得て、天の御国で永遠に生きることができる。

普段の生活でイエスの死を身に帯びて生きることは、イエスの命が現れるのだから、自分の肉的な思いに死んで、神の霊に導かれ、神の霊に満たされて歩みたい。イエスの死を見に帯びて生きることで、私たちは御霊の実を結ぶことができるのだろう。「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、時制」の実を豊かに結びたい。

愛する天のお父様、私たちは救いを受けた時に、自分の肉の思いも十字架につけて、自分の欲望や罪の力に死に、あなたの命を得ました。どうか今日もあなたの命にあふれて歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。