すべてのことは許されている、しかし
「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。 だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。」(コリント人への第一の手紙 10:23-24)
キリスト教において、すべてのことは許されているというのが基本的な考え方だ。私たちは律法を成就してくださる方、御子イエスキリストに従う者となり、律法の縛りから解き放たれ自由を得た。だからイエスキリストにあってすべてのことは許されている。
しかし、すべてのことが益になるわけではない。何が益とならないのかは私たちは見極めなければならない。私たちの罪が私たちをあらゆる肉を喜ばせるものへと駆り立てるため、私たちに益となるのか、あるいは人の徳を高めるのかをよく吟味しなければならない。
すべてのことは許されているが、何をしたら良いのかを見極めるポイントの一つは、「自分の益を求めないで、ほかの人の益を求める」ことだ。すべてのことが許されていると言って、自分の益のために、私利私欲のために行う人が多いかもしれないが、他の人の利益を考え、また他の人の徳を高めるためにあらゆることを行うなら、神からの祝福にあずかることになる。
人の益となり、人の徳が高まるために生きる者でありたい。
愛する天のお父様、人々の益となり、徳を高めることは何かを私たちに教え、実行することができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。