夫妻はお互いにその分を果し
「しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。 夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。 妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。 互に拒んではいけない。ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、それからまた一緒になることは、さしつかえない。そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない。」(コリント人への第一の手紙 7:2-5)
男子が妻を持ち、婦人も夫を持つことは、不品行に陥らないために重要なことである。神は私たちを創造された時に性欲を与え、その性欲を満たすことのできる唯一の場所として結婚を定められた。神が定められた性交渉の許容範囲は結婚であり、夫婦関係の中である。
男性も女性も性欲が満たされるように早く結婚することが勧められている。これは急いで結婚することとニュアンスが違う。しっかり結婚に向けて準備してゆくことが大切であり、互いに補い合うことができるのが結婚の素晴らしいところだ。
そして夫婦が不品行から守られるために、パウロは「夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべき」だと勧めた。それは義務的に果たすことではない。スケジュールしても夫婦が性生活を楽しめないのなら、単なるノルマになってしまい楽しめない。
パウロは「妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。 互に拒んではいけない。」と言った。
性的必要が満たされる場所が結婚であるため、夫婦はお互いの必要のために協力的であることが重要だ。病やその他の事情で難しい場合もあるだろうが、疲れを理由に断る時に、それ以外の別な理由があるのかもしれない。その理由は神に示されて取り扱っていく必要があるのかもしれない。
性交渉において、ある人たちは性欲が沸騰してから持つ、あるいはお酒の力を借りて持つ人たちもいる。しかし、どちらかというと二人でコミュニケーションを取り、気持ちを高め合いながら性交渉に入るものことで夫婦の気持ちは全く違ってくる。性交渉を無理矢理すると、暴力的になってしまい、気持ちが満たされないだけではなく、傷を負ってしまう。
性的必要は結婚の中で満たされるように神が定められた。婚前交渉や婚外交渉など結婚の枠外に性的必要を求めるなら不品行の罪に陥ってしまう。そうならないように、夫婦がお互いにその分を果たしていきたい。それが出来ないなら、なぜそうなのか主に祈り、示していただこう。
愛する天のお父様、あなたは私たちに性的欲求を与えてくださいました。私たちの敵なる悪魔は、私たちの性を巧妙に不品行の罪へと誘い、陥れようとします。どうか夫婦関係が守られ祝福され、喜びに溢れるものとなりますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。