日が留まり月が動かなかった日
「主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、 「日よ、ギベオンの上にとどまれ、 月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。 民がその敵を撃ち破るまで、 日はとどまり、 月は動かなかった。 これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。 これより先にも、あとにも、主がこのように人の言葉を聞きいれられた日は一日もなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。」(ヨシュア記 10:12-14)
太陽が天の中空に留まり、月が動かな日が人類史上一日だけある。それは主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日であった。
イスラエルがアモリ人を撃ち破るために、ヨシュアが主に向かって叫ぶと、主が時間を止めて白日状態を作るまでして戦われたことに驚く。主なる神の御心に叶うのなら、主は天地におけるすべてのことにおいて主権を持っておられるのだ。そのような日は聖書の中には二度と出てこないが、神は不思議にも、この一日の時間を止め、イスラエルがアモリ人と戦うために許されたのである。
神が選ばれたイスラエルの民に対して神は自然的な秩序に介入されるところに、この全宇宙の主権は主にあることを覚える。神のなされたあらゆる奇跡のわざは、神が超自然的に、確固たる目的を持って介入されることを知る。
主なる神は御心のままにイスラエルを選び、契約のゆえにイスラエルの民を愛し続けられた。私たちは主の前にひれ伏し、主の偉大さを認め、主を敬い愛していきたい。
愛する天のお父様、あなたは天地を治めておられます。あなたはすべての人を愛し、信仰によってあなたの民に加えてくださいます。感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。