男の着物、女の着物

「女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない。あなたの神、主はそのような事をする者を忌みきらわれるからである。」(申命記 22:5)

時代の変化と共に男の着物と女の着物の境がだんだん不明瞭になり、男として生きるのも女として生きるのも個人が決めることだという考え方が社会で主流となり、公共機関や教会でもこの考え方を受け入れようという風潮になってきた。

世の中では宴会の余興で女装や男装して笑いを取ったり、また違う理由で公然と行う人たちもいるが、古代イスラエルで、神がモーセに与えられたモーセ五書に書かれた律法には、女は男の着物を着てはならない、また男は女の着物を着てはならないとある。

神が忌み嫌うと言われたことを、私たちが行う時には、なぜ私たちはそのように行うのかについて考える必要がある。無知から来るものなのか、あるいは知っていながらあえて行うのでは全く違うからだ。

神が私たちに与えられた命令に関して、私たちは窮屈に感じているのか、あるいは素直に従うのかは私たちの態度次第である。神の命じられたことを素直に行えたら良いのだが、何も考えないで行うのも良くないし、素直になれないのならその原因を探ってみる必要がある。

神を信じ神に従う人生を選び取るのは、神が私たちを愛しておられるということが前提にある。

愛する天のお父様、あなたは私たちを愛しておられ、私たちに命令を与え、あなたが聖なる方であることを示すされました。あなたが私たちを尊んでくださったように、私たちもあなたを尊び素直になることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。