自分を捨て自分の十字架を負う
「それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。 」(マルコによる福音書 8:34-37)
自分を捨てることは簡単ではない。自分を捨てることで、さらに多くのものも連鎖して失う気がすると気が遠くなる。自分だけが失うのは孤立感を感じ、他者に占領され置き換わるのかと思うと、敗北感が募り、耐え難く感じる。
私たちが自分の命を失うのは福音のためである。福音のために命を失うのなら自分の命を救うことになる。私たちは自分のために生きるのか、あるいは、福音に生きるのかという選択肢が与えられ、自分の命を救おうと思うなら命を失くことになり、福音のために自分の命を失うのなら命を得る。
私たちが全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得にならない。また、どんなに代価を払っても自分の力で命を買いもどすことができない。真に価値ある生き方は福音のために、福音に生きることだ。
自分自身が邪魔しているなら取り去り、自分自身の十字架を背負うのを避けているなら、背負うべきであろう。
愛する天のお父様、自分自身を捨て、永遠の命を豊かに与えてくださるあなたに従って歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。