違った心

「ただし、わたしのしもべカレブは違った心をもっていて、わたしに完全に従ったので、わたしは彼が行ってきた地に彼を導き入れるであろう。彼の子孫はそれを所有するにいたるであろう。」(民数記 14:24)

「またイスラエルの人々はみなモーセとアロンにむかってつぶやき、全会衆は彼らに言った、「ああ、わたしたちはエジプトの国で死んでいたらよかったのに。この荒野で死んでいたらよかったのに。 なにゆえ、主はわたしたちをこの地に連れてきて、つるぎに倒れさせ、またわたしたちの妻子をえじきとされるのであろうか。エジプトに帰る方が、むしろ良いではないか」。 彼らは互に言った、「わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」。 

そこで、モーセとアロンはイスラエルの人々の全会衆の前でひれふした。 このとき、その地を探った者のうちのヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブは、その衣服を裂き、 イスラエルの人々の全会衆に言った、「わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。 もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。 ただ、主にそむいてはなりません。またその地の民を恐れてはなりません。彼らはわたしたちの食い物にすぎません。彼らを守る者は取り除かれます。主がわたしたちと共におられますから、彼らを恐れてはなりません」。 

ところが会衆はみな石で彼らを撃ち殺そうとした。 そのとき、主の栄光が、会見の幕屋からイスラエルのすべての人に現れた。 主はモーセに言われた、「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがもろもろのしるしを彼らのうちに行ったのに、彼らはいつまでわたしを信じないのか。 わたしは疫病をもって彼らを撃ち滅ぼし、あなたを彼らよりも大いなる強い国民としよう」。 

モーセは主に罪の赦しを願うと、主は言われた、「わたしはあなたの言葉のとおりにゆるそう。 しかし、わたしは生きている。また主の栄光が、全世界に満ちている。 わたしの栄光と、わたしがエジプトと荒野で行ったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞きしたがわなかった人々はひとりも、 わたしがかつて彼らの先祖たちに与えると誓った地を見ないであろう。またわたしを侮った人々も、それを見ないであろう。 ただし、わたしのしもべカレブは違った心をもっていて、わたしに完全に従ったので、わたしは彼が行ってきた地に彼を導き入れるであろう。彼の子孫はそれを所有するにいたるであろう。」(民数記 14:2-24)

私たちの「ものの見方」は私たちの考え方に大きく左右する。私たちが何か新しいことをする時も、それを無理だという意見と、それはできるという意見が出てくる。それはどちらもただしい。無理だと考えるなら無理だし、できると考えるならできるからである。私たちのものの見方、または認知が私たちの行動に影響を与え、私たちの人生に影響を与える。

私はカレブのように主を信頼して歩む人間でありたい。

愛する天のお父様、あなたの計画を知り、あなたを信頼して歩むことができますように。主のイエスキリストの御名によって、アーメン。