聖なる者であれ
「あなたがたはわたしに対して聖なる者でなければならない。主なるわたしは聖なる者で、あなたがたをわたしのものにしようと、他の民から区別したからである。」(レビ記 20:26)
聖なる者であれとは、なんともハードルの高いことに感じる。他人を騙せても神を騙すことは出来ない。だから神に対して聖なる者であることなど可能なのであろうか?神が人に求めておられることは、聖人となること、無垢になることでもなさそうだ。それは人間の努力では決して成し得ないことだからである。
聖なる者であるとは、神の命令に仕上がってあがないをすることである。私たちは動物の生贄を持って贖うことは不可能である。御子イエスの血によるあがないによって私たちの罪は清められる。イエスが二千年前に十字架につき、私たちの罪のためにあがないをしてくださったので、私たちがこのことを信じることで罪許され、贖われる。
イエスを信じて生きることが聖なる者となることである。罪赦された者は、もはや罪から離れ、罪を犯すことから遠ざかろうとする。その結果として私たちは聖なる者と変えられてゆく。
愛する天のお父様、私たちをあがない、私たちを聖なる者としてくださり、ありがとうございます。あなたを信頼します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。