ぶどう酒と濃い酒
「「あなたも、あなたの子たちも会見の幕屋にはいる時には、死ぬことのないように、ぶどう酒と濃い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々永く守るべき定めとしなければならない。 これはあなたがたが聖なるものと俗なるもの、汚れたものと清いものとの区別をすることができるため、 また主がモーセによって語られたすべての定めを、イスラエルの人々に教えることができるためである」。」(レビ記 10:9-11)
会見の幕屋は、神に仕え、神の言葉を受け取る場所である。そこでは、聖なるものと俗なるもの、汚れたものと清いものとの区別し、また主がモーセによって語られたすべての定めをイスラエルの人々に教えることができるする場所であった。そのような理由で祭司アロンと子どもたちは、会見の幕屋に入る時にぶどう酒と濃い酒を飲まないようにと言われたのである。
私たちがぶどう酒を飲むのかどうかは、私たちと主との間の問題である。場合によっては薬になるかもしれないが、毒にもなり得るものである。
エペソ人への手紙 5:18に「ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。」とある。酔って放蕩しないための知恵の言葉だと思うが、過度の飲酒の危険性や問題は社会通念であり、聖書を俯瞰して見ても飲まないことを勧めている。
飲酒について考える時の重要な点は、やはり聖なるものと俗なるもの、汚れたものと清いものとの区別をすることができるかどうか、また主が聖書で教えていることを教えることができるかどうかについて考えるべき点の一つだ。
酔酒ではなく、聖霊に満たされることを聖書は教えている。酒を飲む前に聖霊に自分の心をあけ渡したい。
愛する天のお父様、お酒に酔うのではなく、聖霊に満たされて歩み、物事を判別でき、また主の教えを教えることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。