神を恐れるなら
「しかし助産婦たちは神をおそれ、エジプトの王が彼らに命じたようにはせず、男の子を生かしておいた。」(出エジプト記 1:17)
エジプトにヨセフのことを知らない新しい王が起った。 彼はその民に言った、「見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。 さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう」。
そこでエジプトびとは彼らの上に監督をおき、重い労役をもって彼らを苦しめた。彼らはパロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。 しかしイスラエルの人々が苦しめられるにしたがって、いよいよふえひろがるので、彼らはイスラエルの人々のゆえに恐れをなした。 エジプトびとはイスラエルの人々をきびしく使い、 つらい務をもってその生活を苦しめた。すなわち、しっくいこね、れんが作り、および田畑のあらゆる務に当らせたが、そのすべての労役はきびしかった。(出エジプト記 1:8-14)
またエジプトの王は、ヘブルの女のために取上げをする助産婦でひとりは名をシフラといい、他のひとりは名をプアという者にさとして、 言った、「ヘブルの女のために助産をするとき、産み台の上を見て、もし男の子ならばそれを殺し、女の子ならば生かしておきなさい」。
しかし助産婦たちは神をおそれ、エジプトの王が彼らに命じたようにはせず、男の子を生かしておいた。 エジプトの王は助産婦たちを召して言った、「あなたがたはなぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか」。 助産婦たちはパロに言った、「ヘブルの女はエジプトの女とは違い、彼女たちは健やかで助産婦が行く前に産んでしまいます」。
それで神は助産婦たちに恵みをほどこされた。そして民はふえ、非常に強くなった。 助産婦たちは神をおそれたので、神は彼女たちの家を栄えさせられた。 そこでパロはそのすべての民に命じて言った、「ヘブルびとに男の子が生れたならば、みなナイル川に投げこめ。しかし女の子はみな生かしておけ」。」(出エジプト記 1:15-22)
ヘブル人、つまりイスラエルの民は、エジプトでも存命の危機にさらされた。男子は粛清され、民としての力を削がれかねない状況だった。
しかし助産師たちがエジプトの王ではなく、神を恐れ、神に従ったことで、イスラエルの民は滅ぼされずに済んだ。
私たちは人間に従うか、または主に従うかの選択を迫られた時、この助産師たちのように、神を恐れ、行動することができるだろうか?
助産師たちが主を恐れ、主に従ったので、神は助産婦たちに恵みをほどこされ、民はふえて非常に強くなり、神は彼女たちの家を栄えさせられたのである。
人々の将来、国の未来に影響を及ぼす決断もあれば、そうでない決断もある。どんな状況でも主なる神を恐れる信仰をもって歩みたい。
愛する天のお父様、魂を滅ぼすことのできない人間を恐れるのではなく、魂を生かし滅ぼすことのできるあなたを恐れてが歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。