心の中のこと
「さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月のものが、すでに止まっていた。 それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。」(創世記 18:11-14)
サラは高齢になり、自然的に言って、出産できる体ではなかった。だから客人が「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」(創世記 18:10)と言った言葉をサラはうしろの方の天幕の入口で聞いて、サラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。
サラの笑いは喜びの笑いというよりは、冷ややかな笑いで、にわかに信じられないという嘲りの笑いだった。
私たちは神の言葉を聞いた時、どのような反応をするだろうか?素直に信じて喜ぶ楽しい笑いなのか、それとも信じられない苦しい困惑した笑いをするだろうか?
信じられないようなことを信じようとするのが信仰だ。神は私たちの心の中のことをすべてご存知である。私たちは良いことも悪いことも両方ご存知であるのだから、私たちは心の中に良い思いを持つようにしたい。苦しい時、辛い時に、心の中で神に祈る祈りはすべて主が聞いておられる。主に信頼して歩もう。
愛する天のお父様、あなたは私たちが信じられない状況の中で信じるように言われます。あなたを信頼する者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。