タイトル: 単にイエス様のみことばを聞くだけではだめ。それを実践することが肝要

タイトル: 単にイエス様のみことばを聞くだけではだめ。それを実践することが肝要

聖句:

“なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。 わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしませんでした。 しかし、聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、その壊れ方はひどいものでした。」” ルカの福音書 6章46~49節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

観察:

イエス様は弟子たちにこのように尋ねています。「なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。」考えさせられるよく練られた質問です。「主」という単語は、力や、権威、そして影響力を持った人を指しています。主人とか支配者といった意味を持ちます。弟子たちに対し、イエス様の果たす役割についての理解力を試すため、イエス様が使われた強い言葉です。

イエス様はご自分に従い、イエス様のことを「主」と呼ぶ人たちにどんな人が含まれているのかをここで明らかにされようとしています。 ある人のことを「主」と言っている人は、その「主」とされる人に近寄り、その人の教えに耳を傾け、それを実践する人です。これはイエス様を彼らの存在を支配する人、主人として、「主」と認める人たちの特徴です。彼らは、まず、イエス様のもとに近づかなければなりません。そして、 次に、イエス様の教え注意深く耳を傾けなければいけません。 そして、第三番目に、彼らは人生の中で、イエス様の教えを適用することを求められていました。

私は、キリストとキリストの教えについて認識しているにもかかわらず、自分の日々の生活の中でこの原則を必ずしも活かせていないことを認めざるを得ません。イエス様のみこばとに関与するには一貫したコミットメントとそのメッセージと常に関係性を持つことが必要になります。イエス様の教えは根本的に私たちの存在を形作っていくものです。教えが人生と同期するからです。

イエス様は言いました。「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしませんでした。」

「しかし、聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、その壊れ方はひどいものでした。」

イエス様の弟子たちへの問いかけに戻りましょう。「なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。」 聞いて行う人と聞いても行わない人との違いは、大変重要です。イエス様のみことばを積極的に人生で実行しようとすることで、私たちが人生でいろいろな試練に出会う中、そんな混沌とした状況にあっても試練を耐え忍ぶことができるです。私たちはより強くなっていくのです。

適用:

私は、今年をイエス様の教えを日々実践することに専念する年としていきたいと思います。私の弱点の一つは、イエス様のみもとに近づいて、みことばを聞いているにもかかわらず、イエス様との歩みの中で、それらを一貫性を持って実践していないことにあると思っています。ですから、今年は、イエス様の教えを自分の日々の生活に取り入れ、それを自分の存在の土台の一部に変えていくために、不断の努力を怠らないようにしていきます。

祈り:

愛する天のお父様、あなたのみことばを通して、私の人生に欠かせないあなたの導きを祈ります。あなたの教えを実践し、日々、それらを体現していく勇気を私に与えてください。あなたが私のために示してくださる道を弛むことなく歩むことができるよう助けてください。今年を始めるにあたって、あなたに心を向けます。アーメン!