イエスの宣教
「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」(ルカによる福音書 4:18-19)
イエスは故郷の会堂で、このイザヤ書の箇所を引用して、ご自身のミニストリーを説明された。会堂にいた人々はみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。 (ルカによる福音書 4:22)
イエスが地上において宣教する上で、神は貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるためにイエスに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。
主の救いの良い知らせは、貧しい人々に向けられた。貧しい人とは、単に経済的に貧しい人だけではなく、捕らわれ人、目の見えない人、虐げられている人など自分の弱さを熟知していて、神を求める人々ではなかろうか。
イエスキリストの宣教とは、捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために来られた。
神は私たちに物理的な解放、開眼、自由を与えてくださることができるが、同じように私たちの囚われた心を解き放ち、心の目の開き、虐げられて不自由な気持ちになっている人々の心に自由を与えてくださる。
イエスのことをヨセフの子だということで歓迎せず、イスラエル以外の場所で神の奇跡が起きた話を聞いた人々は、みな憤りに満ち、 立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。 しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。(ルカによる福音書 4:28-30)
イエスの出自を歓迎せず、また神の働きが不在である現実と問題点について指摘されて受け入れることが出来なかった人々は、イエスを葬り去ろうとした。
イエスの宣教は多くの人々を自由にし、解放することであった。その働きは今日も続いている。主に委ね、主の恵みにより、さらに解放と自由を得て歩みたい。
愛する天のお父様、私の心の目を開いてください。あなたが新しい年も私の人生を恵みで満ち溢れさせてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。