良心のきよめ
「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。」(ヘブル人への手紙 9:14)
良心のきよめは、私たちと神の本質的な関係において重要なことである。なぜなら、かつてイスラエルの民は幕屋で「供え物やいけにえはささげられるが、儀式にたずさわる者の良心を全うすることはできない。 それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いごとに関する行事であって、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎない。」(ヘブル人への手紙 9:9-10)というものだったからである。
形として動物のいけにえが受け入れられても、本質的な部分である私たちの心がきよめられることが何よりも素晴らしく望ましい。私たちの心は、神の御子による血を持ってきよめられ、宗教的供犠のような死んだわざは取り除かれ不要となる。
私たちは心がきよめられたので、生ける神に仕える者となった。神に仕えるのは、宗教的な行為からではなく、むしろ心がきよめられた証から来るものである。
心がきよめられた者として主に仕えていこう。
愛する天のお父様、あなたが私たちの心をきよめてくださり、あなたに仕える者としてくださいます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。