敬虔さを持ち従順を学び完全な者とされた方
「キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。」(へブル人への手紙 5:7,8,9,10)
かつてイスラエルの社会には、大祭司と呼ばれる人たちがいた。大祭司はみな、人々の中から選ばれ、人々のために神に仕えるように、すなわち、ささげ物といけにえを罪のために献げるように、任命された。(へブル人への手紙 5:1)
大祭司は自分自身も弱さを身にまとっているので、無知で迷っている人々に優しく接することができ、また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のゆえにささげ物を献げなければならなかった。
また、この栄誉は自分で得るのではなく、アロンがそうであったように、神に召されて受けた。(へブル人への手紙 5:2-4) 神に召されて大祭司の役職についたのであった。
同様にキリストも、大祭司となる栄誉を自分で得たのではなく、「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ」と語りかけた方が、それをお与えになった。
別の箇所でも、「あなたは、メルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である」とあるとおりだ。
キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられた。
キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれた。(へブル人への手紙 5:5-10)
大祭司は神に召されて就く役職だ。そして弱さや苦しみを自ら味わい理解しているため、人々の祈りと願いをささげることができる。大祭司キリストの偉大なところは、敬虔さを持っていたこと「お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ」たことだ。
私たちも訓練によって敬虔さを身につけ、従順を学び、完全な者へと近づいていくことができる。具体的には聖書の勉強、祈り、賛美、愛を実践していくことだ。自己鍛錬していきたい。
愛する天のお父様、日々あなたの言葉によって、自分の思考を訓練します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。