私たちに任せられたもの

「この福音のために、私は宣教者、使徒、また教師として任命されました。そのために、私はこのような苦しみにあっています。しかし、それを恥とは思っていません。なぜなら、私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。」(テモテへの手紙 第二 1:11,12)

福音は人を罪から救う素晴らしい神からのメッセージである。神が私たちを深く愛しておられるので、二千年前に御子イエスキリストを遣わし、罪深い私たちの身代わりとなって十字架につき、誰でも信じる者の罪を完全に赦し、救ってくださるというメッセージである。

神が私たちの罪を赦される時、神は私たちの罪を思い出さない。私たちに永遠のいのちを与え、私たちを神の子どもとしてくださる。これぞ私たちへの最高のプレゼントである。

イエスキリストの福音は私たちの生活の中のあらゆる場面を通して、常にあらゆる方法で宣べ伝えられている。ゴミ出し、買い物、あいさつ、連絡のやり取りなどで私たちは福音を宣べ伝える。

パウロは自らを宣教者、使徒、また教師として任命されたと宣べた。宣教者、使徒、また教師には、他の働き人たちとは違うチャレンジ、または苦しみがある。

パウロは彼自身が神から任せられたものは、彼だけのものではなく、すべての人々に託されたものであり、何世紀に及ぶ、神の壮大なご計画の一部であった。

宣教は表立って、神のことばを語るため、ことばによる反撃にも遭う。陰の働きは、陰なりのチャレンジがある。

使徒はあらゆる教会のお世話をする働きである。各教会には各々の祝福とチャレンジがある。

教師には、聖書が教えている通りに教えるチャレンジがある。違う教えをする闘いは常にあり、人間的な魅力に惹かれて違う教えではなく、神の素晴らしさを伝える上で、それを妨害する働きと常に戦う。

私たちに任せられたものは何か?個人的に任せられたものを知り、その働きから逸れないようにしたい。

愛する天のお父様、あなたから任せられた働きを忠実に仕えることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。