主のあわれみの先例

「しかし、私はあわれみを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためでした。」(テモテへの手紙 第一 1:16)

パウロは、自分があわれみを受けたのは、神がパウロをイエスを信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためだったと述べた。

私たちは神からあわれみを受けて、「この上ない寛容」を示して頂いた。私たちの罪は主の前にあまりにも大きく、本来なら滅びても当然なのに、主のあわれみによって罪を赦していただき、永遠のいのちを得て、神の子どもとされた。これ以上私たちは何を望めるのか?

私たちは先に救われた。そして、さらに後から救われてくる人々がいる。それらが誰なのかは私たちは知る由もない。だから私たちがイエスを信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例になるように、とパウロは言った。

自分自身の罪が深ければ深いほど、自分自身の罪深さを知れば知るほど、神の憐れみの大きさと、その素晴らしさを知ることができる。

神の憐れみの中を、神の憐れみによって生きたい。自分自身の人生の中に神の憐れみが注がれていることを証することができるようにと願う。

愛する天のお父様、あなたの憐れみを受け、私のすべての罪は赦されました。あなたの愛はなんと大きいことでしょう。感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。