頼りない自分の力
「そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。」(マタイによる福音書 26:31-32)
イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。(26:31)
イエスはローマ兵に捕えられ、十字架にかけられ、死ぬことを弟子たちに伝えたからである。神がイエスにそのことを語られたからなのか、イエスは自分の身に起こることを知っていた。
そして、さらに凄いことを語った。「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」イエスが死から復活すると言われたのだ。ユダヤ人にとって呪いの象徴である十字架の死さえも受け入れ難いことであるが、イエスが死んでよみがえることも実に現実離れした話にも思えるからだ。
ペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。 パウロには自信があったようだ。しかしどんなに意志が強くても、いざとなった時自分の気持ちは揺らぐものである。
イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」。 ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。」(マタイによる福音書 26:31-35)
実際、その夜、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。 またペテロは鶏が鳴く前に、三度イエスを知らないと言い、外に出て激しく泣いた。(26:56, 75) 弟子たちの豪語とは裏腹に弟子たちは皆つまずいてしまった。
私たちの自信や言葉ほど頼りにならないものはない。私たちは極限に達した時、自分自身を頼ることはできない。私たちが逃げることもつまずくこともないように神の計画に留まるために必要なのは聖霊である。聖霊に従って歩みたい。
愛する天のお父様、あなたの知恵と力を私たちにお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。