恐れることはない

「イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。 弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。 しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。」(マタイによる福音書 14:25-27)

夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて弟子たちの方へ行かれたイエスを見て、弟子たちは幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。 イエスの様子がはっきり見えなかったのか、あるいは思い込みが強く、恐怖のあまり視界がはっきりしなくなったのかわからないが、イエスを幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。

しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。

恐れに現実性が帯びていないことがよくある。私たちが生命の危機や状況悪化などの危険だと脳が判断すると、恐れという嫌悪感情が誘発されて私たちの心に入り、支配するようになる。

イエスか私たちに恐れるなと言われた時、私たちはどうしたら良いのだろうか?

一つは私たちの認知が現実的かどうか見極めることができるように一呼吸をおくことかもしれない。もし恐れが出て来て、私たちの心を支配し始めたら、神を信頼すると宣言し、神に祈り、また賛美をすることが大切だ。

先人たちも恐れが襲って来た時、心を主に向け、主に祈り、主を賛美した。認知より感情が勝る時、主の御名を呼び求めることだ。主を礼拝し、心を主に向ける者でありたい。

愛する天のお父様、あなたの御名を直ぐに呼ぶ者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。