夫婦の愛
「私の少しばかりの愚かさを我慢してほしいと思います。いや、あなたがたは我慢しています。私は神の熱心をもって、あなたがたのことを熱心に思っています。私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させたのですから。蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。」(コリント人への手紙 第二 11:1,2,3)
結婚は私たちがキリストとの関係を学ぶことができる最高の場所である。キリストと教会の関係は主の日に結婚する花婿と花嫁にたとえられる。
教会はキリストの花嫁と呼ばれ、純潔を大切にする花嫁である。だから偶像礼拝から離れ、キリストだけに節操を守る処女の婚約者として、やがてキリストと一つとなる祝宴の日を待ちわびているのである。
蛇なるサタンが悪巧みによってエバを欺いたように、私たちはサタンの惑わしによって欺かれないように、キリストに対する真心をしっかりと持ち続けることが大切だ。
キリストと教会の関係において、キリストが私たちではなく、他の何を愛することは、先づない。不貞を犯すのはむしろ私たちのほうであり、偶像礼拝をしやすい弱さを持つ。他のことに心が靡くのも私たちであって主イエスキリストの心が別のものに靡くことはない。
地上の夫婦関係において真心から愛することを学ぶことで、キリストに対して真心から愛することを学ぶことができる。
愛する天のお父様、あなたへの愛と、夫婦間の愛が真心からのものとなりますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。