寛容は愛

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。」(コリント人への手紙 第一  13:4)

「愛は◯◯です」という有名な聖書箇所であるが、長年クリスチャン生活をしていると、必ず一度や二度聞いたことがある言葉であろう。

さて視点を変えて、「寛容であることが愛」「親切であることが愛」と逆にして考えてみると、日常生活でいかに愛を実践できていないことに気づく。

私たちの周りに、私たちを苛立たせる人がいるとき、私たちはその人に対して厳しく接しようとしてしまう。しかし、私たちが忍耐強く接するときに、それは愛となる。そう考えると、愛というのは、男女の恋愛ではないことがわかる。愛というのは寛容であること、忍耐することである。

私たちを日常的に苛立たせ、あるいは怒らせるような存在に対して、私たちはいかに愛を持って接することができるだろうか?

聖書に神は愛ですという言葉がある。神は私たちに対して苛立ったり、怒ったりせず、神は私たちに対して忍耐づよく接してくださり、私たちの最高のプレゼントを与え、私たちに恵みと祝福を与えてくださる。

神は私たちに愛し合いなさいと言われた。それは私たちがお互いに忍耐をもって接し、謙り、相手の最善の願って仕える、自分を犠牲にするということだろう。

愛は決して簡単で楽ではないが、愛は人を変える力があり、人を生かし、人を救う力がある。

愛を実践する人になりたい。

愛する天のお父様、あなたが私たちに愛を示してくださいました。ありがとうございます。愛を実践することができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。