神の戒めを守ることが大事

「割礼があってもなくても、それは問題ではない。大事なのは、ただ神の戒めを守ることである。」(コリント人への第一の手紙 7:19)

割礼は男性のからだに受けるしるし。モーセの時代、イスラエルの男性たちは自らの性器に割礼を受けて、イスラエル人であるしるしとした。イエスの時代、イスラエルの民はローマ帝国支配下にあり、彼らはユダヤ人と呼ばれ、ユダヤ人と異邦人を区別していた。

しかしイエスが天に召され、教会があちこちに設立されるとクリスチャンになるために割礼が必要かどうかという議論が出てきた。使徒パウロは、コリントの教会にも

「割礼があってもなくても、それは問題ではない。大事なのは、ただ神の戒めを守ることである。」(コリント人への第一の手紙 7:19)と言った。

クリスチャンになるために必要なのは体のしるしではなく心のしるしである。神は外側のことよりも内側のことに興味を持っておられる。クリスチャンにとって、神の戒めを純粋に守ること、信仰によって神を信じることが大切だ。

人種や民族や容姿や経歴ではなく、大切なのは神の言葉を守って生きているかどうかである。

神の言葉、神の戒めを守って歩みたい。

愛する天のお父様、あなたの言葉を感謝します。あなたは私たちの信仰を見ておられます。あなたを信頼して歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。