身の潔白を証明するには?

「もしわたしの歩みが、道をはなれ、 わたしの心がわたしの目にしたがって歩み、 わたしの手に汚れがついていたなら、 わたしのまいたのを他の人が食べ、 わたしのために成長するものが、 抜き取られてもかまわない。 もし、わたしの心が、女に迷ったことがあるか、 またわたしが隣り人の門で 待ち伏せしたことがあるなら、 わたしの妻が他の人のためにうすをひき、 他の人が彼女の上に寝てもかまわない。」(ヨブ記 31:7-10)

ヨブは友人たちに身の潔白を訴えている。確かに聖書は、ヨブのことを「そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」(ヨブ記 1:1)と記す。

ヨブは自らの歩みが道をはなれ、 心が自分の目にしたがって歩み、 手に汚れがついていたなら、 自分のまいたのを他の人が食べ、 自分のために成長するものが、 抜き取られてもかまわないと言った。

さらに、もし自分の心が女に迷い、隣り人の門で 待ち伏せしたことがあるなら、 自分の妻が他の人のためにうすをひき、 他の人が彼女の上に寝てもかまわないとまで言い切っている。イエスは姦淫の罪は行動にあるのではなく、私たちの情欲の思いにあると言われた。

ヨブは生まれてから一度も罪を犯したことはないわけではないが、「そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。」(ヨブ記 1:5)

私も日々主の前に出て悔い改めが必要である。悔い改めは心の方向転換である。軌道修正すること無しに目的地に到着することができないように、私たちも心を神に向ける時に、憐れみ深い主は私たちの罪を赦し、その信仰を義と認めてくださる。

自分の目や心が神の前に正しかったかどうか、主に聞いて歩みたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちの思いを知っておられるお方です。私たちは毎日悔い改め、心をあなたに向け、あなたの前に正しく歩み続けることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。