妬みと恐れ
「それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。」(マルコによる福音書 15:15)
私たちは誰を満足させて生きるべきなのだろうか?
イエスは祭司長たちに縛られ、ローマ総督ピラトにもとに連れて来られた。ピラトはイエスに尋ねた、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは、「そのとおりである」とお答えになった。 そこで祭司長たちは、イエスのことをいろいろと訴えた が、イエスはピラトが不思議に思うほどに、もう何もお答えにならなかった。
祭司長たちがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにわかっていたとある。ピラトは彼らに言った、「それでは、おまえたちがユダヤ人の王と呼んでいるあの人は、どうしたらよいか」。 彼らは、また叫んだ、「十字架につけよ」。 ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると、彼らは一そう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。 それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。」(マルコによる福音書 15:1-15)
祭司長たちの妬みと、ピラトの恐れによって、イエスは十字架につけるために引きわたされた。
私たちも人を妬むと、人を貶めることを平気で行なってしまう。また人を恐れると、人を満足させるために、殺害に加担するようなことをしてしまう。
自分自身のプライド、高慢な心を捨て、謙遜を身につけなければならない。自分に与えられている良さに目を向けることも大切だ。また私たちの体を滅ぼす人間を恐れるのではなく、私たちの魂を生かすことも滅ぼすこともできる主を恐れたい。
愛する天のお父様、あなたと人々の前に謙遜になり、あなたを畏れ敬うことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。