恨みごとがあるならば赦してやれ

「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。 また立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。 〔もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう〕」。」(マルコによる福音書 11:24-26)

誰かに対して、恨みごとがあるなら、ゆるしてやりないと主は言われた。

恨みごとがあるというのは、何か嫌なことをされた、理不尽なことがあったということだろう。それはきっと自分としては赦し難い何か、絶対赦せないと思っている何かなのであろう。

イエスは、私たちが立って祈る時、つまり礼拝する上で赦すことが大切だと言われた。その理由は、「天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。 〔もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう〕」ということである。

人という横の関係においても、神との縦の関係においても、私たちが赦し合うことが大切だ。礼拝は私たちの生活の一部であるが、赦し合うことは日常茶飯事であり、毎日の生活で必ず必要とされることだ。

神との関係において、私たちは人との関係を無視することは出来ない。主が私たちのすべて罪を赦してくださったように、私たちも他人の罪を赦さなけれびならない。

人を赦すために謙り、聖霊の力を得て赦したい。

愛する天のお父様、あなたは私たちの罪を赦してくださいました。ありがとうございます。私たちもお互いの罪を赦し合うことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。