愛のある配慮を

「そこでパウロは、その次の日に四人の者を連れて、彼らと共にきよめを受けてから宮にはいった。そしてきよめの期間が終って、ひとりびとりのために供え物をささげる時を報告しておいた。」(使徒行伝 21:26)

エルサレムではパウロについてあらぬ噂が立っていた。そこで、エルサレム教会とパウロは、ユダヤ人が大切にしている慣習である、「ナジル人の請願」を行ない(18:18) 、律法を軽んじているわけではないという姿勢を示した。

ナジル人の請願とは、特別な願い事がある時や神様に感謝を表したい時に神への献身を約束として、その誓願の間、ぶどう酒や生のぶどう、干しぶどうなど、ぶどうの木から生じたものを飲食せず、髪の毛をそることも切ることもせず、死体に近づくこともしなかった。誓願の期間が終わると定められた献げ物を献げた。(民数記6章)

パウロは、エルサレム教会に請願を終える人が4人いることを聞いて、彼らと共に神殿に行き、髪を剃る費用を出している。これにより、パウロもユダヤ人の慣習を大事にしていることを示し、ユダヤ人たちの誤解を解こうとしたのです。

神を剃ることを含め、私たちは律法に捉われる必要はない。キリストは律法を成就してくださり、私たちは自由に神を喜び、礼拝し、また生きることができるからである。

自由には責任が伴う。私たちには知恵が必要だ。飲酒についても、信仰の弱い人のために飲まないことは愛のある配慮だと言える。何が知恵があり、何が愛があり、何が最善かを考えて行動する者でありたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちに自由を与えてくださいました。その自由をあなたの栄光のために、愛をもって行使することができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。