主イエスの名によるバプテスマ
「そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。」(使徒行伝 19:6)
パウロがエペソにいた弟子たちに出会って、 彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねた。
すると彼らは「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。 「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。(使徒行伝 19:1-3)
そこでパウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。
人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。 そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。(使徒行伝 19:4-6)
主イエスの名によるバプテスマとは、イエスを信じることであり、イエスに覆われるというイメージだろう。イエスを信じると聖霊がくだり、聖霊が私たちを覆ってくださる。聖霊に覆われたしるしが、異言や預言を語ることなどである。
エペソにいた弟子たちはヨハネによって洗礼を受けたが、まだイエスの名によって覆われていなかった。だかイエスの名によって信じた時、イエスが遣わされた聖霊によって覆われ、御霊の賜物である異言や預言を語ったのである。
私たちも罪を離れ、神に心を向け、イエスを救い主として信じるなら、聖霊が私たちを覆い、私たちに御霊の賜物を与えてくださり、また御霊の実を結ぶようになる。異言や預言は神が私たちにくださる賜物であり、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制は私たちの人生に実として与えられるものである。
私たちがイエスキリストを信じるなら、神が私たちの人生にあらゆる変化を与えてくださる。自分の努力ではなく、神の働きにあふれた人生を送りたい。
愛する天のお父様、あなたの御子イエスを救い主として信じ、救いを得ることができたことを感謝します。救われた後には聖霊が働いて、あなたの素晴らしい働きが溢れます。ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。