神の前に生きる姿勢
「そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。」(ヨブ記 1:5)
ウヅの地にヨブという名の人がいた。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。
正しくあるためには、神を恐れること、そして悪に遠ざかることが欠かせない。私たちは神を信じ神を恐れることで義とされる。神が私たちを正しい者として見てくださり、私たちを救ってくださる。
私たちが悪に遠ざかる動機は、神の罰が怖いからではない。神が正しい方であり、私たちを義と認めてくださったから、私たちは悪に留まることなく、悪から遠ざかることができる。
ヨブには、男の子七人と女の子三人があり、 その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。ヨブは財産に恵まれた人だった。この世のステータスとしては最高の幸せをつかんだ人物だと言っても過言ではない。
そのむすこたちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。 家族が集まり、宴を広げ、楽しく時間を過ごす日々は楽しく、幸福感に満ちたものだったに違いない。私もある時期、週末毎に親戚が集まって宴を繰り広げる生活をしたことがある。
さて、ヨブの人間的に素晴らしい点は以下にある。そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。(ヨブ記 1:1-5)
ヨブの神の前に生きる姿勢が素晴らしい。私たちは財産を手にし、家族と楽しく時間を過ごす中で、どれだけ神を意識して生きることができるだろうか?神の前の自分の生き方を常にチェックして、神を礼拝することで神に立ち返る姿は実に素晴らしい。
私の人生も祝福で溢れていることに感謝している。物質的な豊かさ以上に、神を礼拝し信頼するという霊的な豊かさを持って生きていきたい。
愛する天のお父様、ヨブのようにあなたの前に正しく生きる姿勢を持つことができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。