主に立ち返れ
「どうぞ、あなたのしもべモーセに命じられた言葉を、思い起してください。すなわちあなたは言われました、『もしあなたがたが罪を犯すならば、わたしはあなたがたを、もろもろの民の間に散らす。 しかし、あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの戒めを守って、これを行うならば、たといあなたがたのうちの散らされた者が、天の果にいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ所に連れて来る』と。」
(ネヘミヤ記 1:8-9)
罪を犯すことは、主から離れることであるが、主に立ち返ることは、主の戒めを守り行うことである。主に立ち返った後も、主に対して罪を犯さないために、主の言葉に留まり、主の教えに触れ続ける必要がある。
イスラエルはかつてバビロニアに捕囚となり、世界中に離散した。これはエズラやネヘミヤが祈るところの、民族として主に対して罪を犯したことがある。捕囚や離散後も、主の愛と憐れみは絶えず、「あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの戒めを守って、これを行うならば、たといあなたがたのうちの散らされた者が、天の果にいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ所に連れて来る」という約束は変わらない。
私は主から心が離れないように主に心を向け続けたいと願っている。高慢や慢心は恐ろしい。人を赦せない心や恨みは私たちの心を蝕む。謙り、しもべの心を忘れないようにしたい。
愛する天のお父様、あなたに立ち返る時、あなたは私たちが天の果ほど遠いところにいても、私たちを集め、あなたの名を住まわせるために選んだ所に連れて来てくださいます。あなたの約束をありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。