良い水

「私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。彼は私に言った。「この水は東の地域に流れて行き、アラバに下って海に入る。海に注ぎ込まれると、そこの水は良くなる。この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。漁師たちは、そのほとりに立つ。エン・ゲディからエン・エグライムまでが網を干す場所になる。そこの魚は大海の魚のように、種類が非常に多くなる。しかし、その沢と沼は水が良くならず、塩を取るのに使われる。川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」(エゼキエル書 47:7-12)

良い水とは、あらゆる生物が生息し、私たち人間も飲み水として使えるような清らかな水のことだろう。反対に良くない水のある場所には生物が生息しない。事実、イスラエルには塩を取るための”沼”がある。死海である。エルダン川も、エンゲディなどのワディにも動物や植物が生息するが、下流にある死海には出口がなく、塩分濃度は高すぎるため、生物が生息できず、人間も30分程度で自ら上がらなくてはならない。

川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。

さて聖所から流れ込む川であるが、それは神が注ぎ込む川である。神が流れを出すと、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつけるようになる。その実は食物となり、その葉は薬となるのは、私たちに養いと癒しをもたらすことを意味する。

2011年に新たな発見があったとニュースが出た。それは、イスラエルにある死海には生物はいないと長い間考えられてきたが、イスラエルのBen-Gurion University(ベングリオン大学)の科学者による調査チームは死海の底に淡水の湧水を発見し、この泉は急速に干上がりつつある湖に淡水を供給しているとのことだった。湖上にさざ波が立っているのを多くの人が目撃したので、湧水の可能性が指摘されていた。

発見されたのは長さ数百メートル深さ30メートルに及ぶ複雑な湧水系で、湧水は直径15メートルほどのクレーターを通じて噴き出し、その周りには堆積物やミネラルが積み重なって層になり20メートルほどの壁になっていたとこのこと。一方ドイツのチームにより同時に行われていた調査で湖に新しい生命が存在することも発見され、湖底の割れ目の周辺で微生物の生息が確認され、これらの微生物は domain Archaea(古細菌)に属するもので、1ミリリットル中1千〜1万匹生息していると言われ、普通の海水よりも少ない数だという。

塩の沼の水が良くなることについて語る、エゼキエルの神のことばに照らし合わせてみると、死海の湖底に湧水がでることで多くの微生物が生息し始め、将来的には果樹が植えられて、人々が実を食べ、それらの葉が薬として用いられる日が来る可能性が強い。

神はどんなに良くない環境も、良い環境へと変えることができるお方である。私たちが主を信頼し続け、主の養いと主の癒しを受け取っていきたい。

愛する天のお父様、あなたの言葉は生きていて、確かなものです。あなたの養いと癒しをありがとうございます。あなたの言葉を信じて歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。