礼拝者の務め
「また反逆の家であるイスラエルの家に言え。主なる神は、こう言われる、イスラエルの家よ、その憎むべきことをやめよ。 すなわちあなたがたは、わたしの食物である脂肪と血とがささげられる時、心にも肉にも、割礼を受けない異邦人を入れて、わが聖所におらせ、これを汚した。また、もろもろの憎むべきものをもって、わが契約を破った。 あなたがたは、わが聖なる物を守る務を怠り、かえって異邦人を立てて、わが聖所の務を守らせた。」(エゼキエル書 44:6-8)
心にも肉にも割礼を受けることは神の民となるしるしだった。本来は心にも割礼を受けることを主は望んでいたのにもかかわらず、イスラエルの民は肉に割礼を受けることばかりを気にしていた。外側をきれいにしたり、外側を大事にして、内側を蔑ろにしていたことをイエスも偽善だと指摘した通りである。
神を礼拝するにあたり、神を信じ、神に従う者たちが仕えることが大切であるが、異邦人と呼ばれ、神を信じ、神に従わない者たちが聖所の務めをすることを神は喜ばれない。
私はクリスチャンであり、神の民とされた者である。主に仕える上で、クリスチャンという外側の割礼は受けているが、神を信じ従うという内側の割礼については、毎回礼拝する度に、自分自身の心をチェックしなければならないと思っている。礼拝者として外側だけではなく、内側もきよめられ、主を愛し、主を信じ、主に従う者でありたい。
愛する天のお父様、あなたを礼拝します。あなたは私たちの外側だけではなく、私たちの心の内側に興味を持っておられます。あなたを信頼します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。