幸いな人

「すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。 あなたは自分の手の勤労の実を食べ、 幸福で、かつ安らかであろう。 あなたの妻は家の奥にいて 多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、 あなたの子供たちは食卓を囲んで オリブの若木のようである。 見よ、主をおそれる人は、このように祝福を得る。 主はシオンからあなたを祝福されるように。 あなたは世にあるかぎりエルサレムの繁栄を見、 またあなたの子らの子を見るであろう。 どうぞ、イスラエルの上に平安があるように。」(詩篇 128:1-6)

幸いな人について、この詩篇の作者は先ず「すべて主をおそれ主の道に歩む者」だと述べた。私たちが主を敬い畏れ、主の道に歩むことが大前提にある。主が定められた道に従って歩むのかどうかについて一人一人が問われている。

主の道に歩む中で、仕事を一生懸命やり、自分の手の勤労の実を食べ、 幸福で、かつ安らかであるなら、主の祝福として喜ぶことができる。仕事は自分のためではなく、他人のために仕えることである。人々の喜びのために血と汗と涙を流すことができるなら、良い仕事をしているのだと満足と喜びを得ることができる。

もし私たちが結婚して家庭を持ち、妻が家の奥にいて多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、子供たちは食卓を囲んでオリブの若木のようであるなら、大きな祝福である。

主をおそれ、主の道に歩むことで、仕事と家庭の祝福が得られることは幸いである。主から与えられた祝福を感謝して歩みたい。

愛する天のお父様、あなたをおそれ、あなたの道に従います。主イエスキリストの御名によって、アーメン。