タイトル: 神様はその計画と目的を果たすために悪人さえも用られる

タイトル: 神様はその計画と目的を果たすために悪人さえも用られる

聖句:”第二十七年の第一の月の一日、私に次のような主のことばがあった。 「人の子よ。バビロンの王ネブカドネツァルは、ツロに対して自分の軍隊を大いに働かせた。それで、皆の頭ははげ、皆の肩はすりむけた。だが、彼にも彼の軍隊にも、ツロからはその労役に対する報いがなかった。 それゆえ──神である主はこう言われる──わたしはバビロンの王ネブカドネツァルにエジプトの地を与える。彼はその富を取り上げ、物を分捕り、かすめ奪う。それが彼の軍隊への報いとなる。 彼の働きへの報酬として、わたしは彼にエジプトの地を与える。彼らがわたしのためにこれを行ったからである──神である主のことば。 その日、わたしはイスラエルの家のために、一つの角を生えさせる。そして、彼らの間であなたに口を開かせる。そのとき彼らは、わたしが主であることを知る。」” エゼキエル書 29章17~21節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

観察:
           神様はその目的を達成するために罪人や悪人を使うことができるのかという疑問を幾度となく抱きます。義の聖なる神様は、その目的を果たすために、神様と共に歩んでいない人たちを利用することは決してできないと多くの人、特にクリスチャンは結論づけているのではないでしょうか。           神様に何ができて何ができないかを私たちが勝手に決めてしまっていることが往々にしてあります。神様が何も語らず沈黙のとき、私たちは、神様を代弁しようとしていることがあります。神様は、ご自身の目的を達成するために悪人を使うことはできないと断言する人たちも存在します。           しかし、聖書全体を通して、神様が目的を果たすために神様とはかけ離れた人たちを利用していることは明らかです。神様の道や考えは私のものよりはるかに優れたものです。神様は、あらゆる問題についての知識を、私には理解できないほどお持ちです。神様は、娼婦、淫行者、姦通者、疑い深い者、そして今回は、史上最も邪悪な王の一人であるネブカドネザルを用いられました。             神様は、この世に生まれてきたすべての命に目的を持っていると、私は気付かされます。神様はすべての命を創造しましたが、彼らは必ずしも神様の子どもではありません 私たち一人一人は、自分の選択を通して神様の目的を果たします。 悪人でも、時々は正しい選択をすることができます。一部のクリスチャンが避けてしまうような人に対しても、悪人の中にはそのような人にあわれみや恵を示し、さらには愛を示すことができる人もいます。             神様は、神様の目的を成し遂げネブカドネザルが、神様の目的を果たすという行に対して何の報酬も与えられないことに懸念を持っていました。神様の祝福は彼らの悪さに基づくのではなく、神様の目に正しく、神様の目的を成し遂げた彼らの行いに基づくものでした。           悪人の中には、良い行で人助けをすることができるような人もいます。あらゆる良い行は神様が人に与えた賜物です。神様はそのようなことを行おう人が誰であれ、行われる場所がどこであれ、神様はそのような人や場所を使われます。福音書の中でイエス様は、邪悪な父親でさえも子供たちを養うために立ち上がると指摘しています。正しいことを行い、正当な責任を果たすという行為は神様から与えられた賜物であり、それは報われて然るべきです。           あらゆる良いもの、あらゆる完全なものは、私たちが神様にとって大切な存在であることを確かめてくださるみ父から来ます。神様は、多くのクリスチャンでない友人たちの手を通して、私の人生を祝福してくださいました。彼らは、神様を知らないにもかかわらず、神様が持つ優しさとその良さをシェアすることができます。神様は、他人のために良い行をしようとする人なら誰でも、その人がそれを知っているかどうかに関わらず、用いてくれます。

適用:           今日もこのことを学べて感謝します。神様はクリスチャンでない人たちさえも用い、神様の良さを示し、神様の目的を成し遂げることができることを認めたいと思います。彼らが誰で何をしてきたかに関係なく、私の人生において神様の目的を果たすために、神様のみ手が自由に働くことを、私は見続けたいと思っています。神様の道は私の道よりもはるかに高く、優れているということを私は信じ続けます。

祈り:           天のお父様、あなたの目的を妨げるものは何も存在しないことの気づきを私に与えてくださり感謝します。あなたの計画と目的を果たすために、あなたがあなたを知らない人々を用いることができるということに感謝します。あなたは人を分け隔てなく扱われる方ゆえに感謝します。目的が何であれ、誰から来たものであっても、あなたはご自身の目的を必ず果たされます。あなたの優しさと栄光のためにあなたが用いられるすべての人々の中にあなたを見ることができるよう、私を教えてください。アーメン!