思い上がるな

「人の子よ、ツロの君主に言いなさい。」神である主はこう語ります。「おまえは身のほどをわきまえず、自分を神にしてしまうほど思い上がり、大海に浮かぶ島で神の座についている。だが、いくら神のようにふるまっても、おまえは人であって神ではない。確かに、おまえはダニエルよりも賢く、どんな秘密もおまえには筒抜けだ。」(エゼキエル28:2-3)

思い上がるのは怖い。ツロの君主は身のほどをわきまえず、自分を神にしてしまうほど思い上がってしまった。

ツロの君主は、大海に浮かぶ島で神の座と表現されているように、自分のことをまるで神であるかのように考え、振る舞っていたのである。非常に賢く、どんな秘密も筒抜けとなっている存在であったようだ。

しかし主なる神ご自身の指摘はこうである。「いくら神のようにふるまっても、おまえは人であって神ではない」。神でないのに、神の前で振る舞うとはなんと的外れな虚しい姿ではないか。

私たちがもし自分のことを高めてしまい、思い上がってしまっているなら、よく注意しなければならない。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える」(ヤコブの手紙 4:6)からである。

私たちが低い者として扱われることで初めて心を低くすることができる。主の前に謙って歩みたい。

愛する天のお父様、あなたの恵みを感謝します。あなたに仕える心を見失うことがありませんように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。