聖別のしるし

「わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。」(エゼキエル書 20:12)

神はイスラエルの民が他の民とは違って、特別に愛し、神の民としたことを表す「しるし」として聖別を行った。

聖別の具体的なしるしの一つが、安息日であり、この日は仕事をしないことである。イスラエルの民が金曜日の日没から土曜日の日没まで仕事をせず、集まって食事をし、神の言葉を朗読し、祈ることで、彼らは聖別のしるしとした。それは神の民ではない者たちにとって不思議なことであり、馴染みのないものであった。

今日、主イエスキリストを信じた者たちも、神の民となり、聖書を朗読し、祈り、賛美し、食事をする。私たちはクリスチャンと呼ばれ、日曜日に集まる。その集まりは教会と呼ばれている。クリスチャンたちは人種や民族の垣根を越えて、イエスキリストを信じる信仰によって集まる共同体となった。クリスチャンたちも神の民として聖別された者たちとして、外面のしるしではなく、内面のしるしとして聖霊が与えられている。クリスチャンは「〜しなければならない」「〜してはならない」という律法主義の考え方から解放されて、自由に神を愛し、神に仕えることができる。

私たちが偶像礼拝したり、また主以外のものを人生の核としないのは、主に愛され、救いを得ていることで十分であるからである。私たちが伝道するのは、組織のためでも、自分のためでもなく、主の救いを得て欲しいからである。

主の民となり、主に愛されていることを感謝して生きたい。

愛する天のお父様、あなたの愛を感謝します。あなたにあって喜び、楽しむことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。