義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する
「しかしあなたがたは、『なぜ、子は父の悪を負わないのか』と言う。子は公道と正義とを行い、わたしのすべての定めを守っておこなったので、必ず生きるのである。 罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。」(エゼキエル書 18:19-20)
子は親の罪の責任を負うべきか?いいえ、そうではない。「子は父の悪を負わない」と書いてある通りである。また、父は子の悪を負わないのも同じだ。義も罪も、あくまでも個人的なものであり、家族の連帯責任ではない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰するのである。「罪を犯す魂は死ぬ。」とある通りだ。
私たち一人一人が主の前に立ち、さばきを受けることになっている。しかし、イエスキリストによる罪の贖いを受けた者は、罪に定められることがなく、神の前に義と認められるのである。義とされた者は悪に定められることはまずない。「子は公道と正義とを行い、わたしのすべての定めを守っておこなったので、必ず生きるのである。 」
『なぜ、子は父の悪を負わないのか』と言う考え方には、被害者が誰かしらを、特に加害者本人もしくは、それに最も近い家族を罰したい、責任を負わしたい気持ちが潜んでいるかもしれない。しかし罪はあくまでも個人的なものであり、他人が背負うものではない。
神が私たちに濡れ衣を着せることはないし、私たちを裏切ることもない。人間はこの辺がごちゃごちゃしてしまう。
私たちは他人の罪を負う必要はないが、自分の罪に対して責任を追わなければならない。そして私たちの罪は、憐れみ深い神によって、イエスキリストの十字架の贖いを信じる時に赦され、義とされ、永遠の命を得るのである。
憐れみ深い主に感謝して歩みたい。
愛する天のお父様、あなたの救いを感謝します。あなたの御子イエスを信じる信仰により、私たちの罪をあがなってくださり、ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。