主の日

「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。」(ペテロの第二の手紙 3:8-10)

神との関係において時間は同じ速度で進んでいるが、時間の感覚は、一日は千年、千年は一日のようだとあるように、永遠の時間枠から見ると、一日も千日も大した差はない。

この長くて短い時間、短いようで長い時間の中で、主は約束の実行である再臨を遅くしているのではなく、ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、私たちに対して長く忍耐しておられる。主の日の後は救いはなく、救いは主の日までなので、ひとりでも多くの人が救われることを願っておられるのだ。

しかし、主の日は盗人のように襲って来る。突然やって来る。だれも予測していない時間であろうが、その日の前兆はあり、私たちは悟ることができる。

主の日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされる。世の終わりは必ず来る。

主は忍耐して私たちが救われるのを待っておられる。主の元に帰ろう。

愛する天のお父様、あなたの救い、あなたの忍耐を感謝します。主の日が来る前に私たちが救いを受け入れますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。