行動の伴う信仰
「こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。」(ヤコブの手紙 2:23-24)
神の前に義とされるのは、信仰だけではなく、行いが伴うことにある。神が義とされる、つまり神が喜び、救いに至らせてくださるのは、神を信じ、その信仰に基づいて行動に出ることだ。
アブラハムは神を信じて行動に出て、義と認められ、神の友と唱えられた。
私たちが神を信じた時、行動が伴う。逆に言うなら行動に出始めて、神を信じていると言えるのだろう。もしかしたら、神を信じられない、また行動にはとても及ばないと感じることがあるだろう。それは正直な気持ちだろうし、誰にでもあるチャレンジかもしれない。
私たちは信じていることを口で告白し、行動に表すことができる。具体的には自分に与えられ、管理下に置かれている、時間、労力、賜物、経済、所有物などを、あらゆる形で主にささげることではないか。具体的にはその都度祈り、心から主にささげる者でありたい。
愛する天のお父様、あなたを信じます。その証としてささげます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。