あわれみ深い忠実な大祭司

「そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。 主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」(ヘブル人への手紙 2:17-18)

憐れみ深い人間になるためには、自分自身が憐れみを受ける経験を持つことが大切だ。試錬を受けて苦しんだ者は試錬の中にある者たちを助けることができる。

イエスはあらゆる苦しみを通られた。人々から嫌われて、誤解され、裏切られ、鞭打たれ、つばきかけられ、罵られ、十字架につけられ、息を引き取り、あらゆる試練を通らされたので、あらゆる試練や苦しみの中にある者たちを助けることができる。キリストは大祭司として私たちの罪のあがないをしてくださる。

大祭司は、年に一度、祭司の中から一人選ばれ、贖いの日に聖所に入り民の罪のために血の生贄を契約の箱の上で捧げた(ヘブル9:7)。これらの日々の、また毎年の生贄を通して人々の罪は、救い主イエスが来られて罪を完全に取り去られるまで、一時的にぬぐわれた。

イエスは十字架の上で、一度のみ、自らの身を生贄として捧げる事によって、自らを通して神に来る人々のために永遠の贖いを成就された(ヘブル9:12)。イエスはレビ人達のように神の律法に従って生贄を捧げた(ヘブル7:26-27)が、毎年毎年生贄を捧げ続けなければならなかったレビ人達とは違った。

祭司は民の内から選ばれるのだが、イエスは永遠の神でありながら人となられ(ヘブル2:9)。人間の弱さも持ち、誘惑も経験し、私たちの弱さに同情できた(ヘブル4:15)。私たちが「あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づく」(ヘブル4:16)ことができるようにして下さった。

イエスはあわれみ深い忠実な大祭司である。私たちの罪のために自分のいのちを捧げてくださり、日々私たちを助けてくださる。

愛する天のお父様、あなたの贖いを感謝します。今日も私たちをお助けください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。