悪は悪、善は善。

「わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、 善を呼んで悪といい、 暗きを光とし、光を暗しとし、 苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。 わざわいなるかな、彼らはおのれを見て、賢しとし、 みずから顧みて、さとしとする。」(イザヤ書 5:20-21)

悪は悪である。そして善は善である。善は悪ではなく、悪は善ではない。これは当たり前のことである。

しかし、実は悪を善とし、また善を悪とする逆転現象が起きている。それは人間が身勝手にしていることで、主の前に悪とされていることだ。

だから主は言われた。「わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、 善を呼んで悪といい、 暗きを光とし、光を暗しとし、 苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。 わざわいなるかな、彼らはおのれを見て、賢しとし、 みずから顧みて、さとしとする。」

私たちは何が善で、何が悪か知り、善は善として扱い、悪は悪として扱いたい。また光を光として認め、暗闇は暗闇として認める。甘しと苦しも同じだ。

私たちが、この点妥協すると、更に次へと妥協し、真理の道から離れてしまう。善悪の違い、光陰の違い、甘苦の違いを明確にしているのは神であり、それをぼやかし、また覆そうとするのは悪である。

愛する天のお父様、今日も私たちを真理へと導きください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。