預言者からの言葉を疑い、チェックすることを恐れてはならない
聖句:
19 すると、ミカヤは言った。「それゆえ主のことばを聞きなさい。私は主が御座にすわり、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。
20 そのとき、主は仰せられました。『だれか、アハブを惑わして、攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせる者はいないか。』すると、あれこれと答えがありました。
21 それからひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わします。』と言いますと、主が彼に『どういうふうにやるのか。』と尋ねられました。
22 彼は答えました。『私が出て行き、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』すると、『あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、そのとおりにせよ。』と仰せられました。
23 今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」
24 すると、ケナアナの子ゼデキヤが近寄って来て、ミカヤの頬をなぐりつけて言った。「どのようにして、主の霊が私を離れて行き、おまえに語ったというのか。」
25 ミカヤは答えた。「いまに、あなたが奥の間にはいって身を隠すときに、思い知るであろう。」
26 すると、イスラエルの王は言った。「ミカヤを連れて行け。町のつかさアモンと王の子ヨアシュのもとに下がらせよ。
27 王が『この男を獄屋に入れ、私が無事に帰って来るまで、わずかなパンと、わずかな水をあてがっておけ。』と命じたと言え。」
28 ミカヤは言った。「万が一、あなたが無事に戻って来られることがあるなら、主は私によって語られなかったのです。」そして、「みなの人々よ。聞いておきなさい。」と言った。
(列王記第一 22:19-28 NIV)
観察:
アハブはミカヤを嫌っていました。ミカヤが常に本当のことを預言していたからです。預言は素晴らしい賜物です。ただ、昨今、人がこの預言を占いのように使い回しています。本来、預言とは、イエス様が語られようとしていることを伝えるためのものです。アハブのように、人は聞きたいことだけを聞こうとします。真理や本当に神様が語ろうとしていることを聞こうとはしていません。人が預言によって語られる真理を聞こうとせず、聞きたいことだけ聞こうとするとき、その預言は人を欺くものになります。
預言は霊的賜物です。それはイエス様が、私たちの置かれた状況の中でされようとしていることを予告するものです。預言はイエス様の証です。アハブ王は、アラムが奪い取ったイスラエルの一部の領土を彼らから取り返すことを企図していました。そして、親戚のユダの王であるヨシャパテに援軍を要請しました。ヨシャパテはアハブに、まず、主にお伺いを立てようと提案します。
アハブは自分の預言者たちを呼び寄せ、預言をするように促します。アハブが呼んだ預言者たちは皆こぞってアラムに戦いを挑むべしと進言をします。しかし、ヨシャパテは、その預言に疑問を抱きます。そして、イスラエルには他に主の預言者がいないのかとアハブに尋ねたのです。クリスチャンも同じような過ちを犯しています。複数の人たちが同じことを預言していると、往々にして、それに疑いの目をかけることもなく、信じてしまいます。預言に関して、私たちはまずはそれが神様から出ているものなのかどうか疑うべきです。聖書は、多くの偽預言者が存在すると警告しています。
ミカヤは神様の言葉を聞く預言者でした。彼は、人の反応をを恐れず、神様のことだけを恐れ、主が彼に告げることだけを、そのまま伝える預言者でした。彼は天国で神様と御使たちとのやり取りを聞いていました。目には見えない世界で起きていることを実際に体験していました。ミカヤは自分の想像で預言することはありませんでした。天国では、主と御使がアハブをアラムとの戦いを決意させる方法について議論をしている光景をミカヤは目にしていました。アハブを死に追いやるために神様はどうしてそんな方法を取ったのでしょうか?アハブは常に神様のやり方とは真逆を行く人間でした。神様が彼を殺したいと思っていたわけではありません。アハブが神様を拒んだことが、自の破滅を招く議論を天国で起させていたのです。
神様に逆らうことで、彼は自分を欺いていたのです。神様は多くの人の破滅をもたらすために、色々な手段を使うことができ、また、それらを巧みに使われます。多くの預言は仮面を被ったそれらしく聞こえる、人を欺く言葉です。なぜなら、聞く人の耳を満足させるだけの目的で語られているからです。
ミカヤのように、私たちは天国で何が話されているのかを見聞きし、そして、自分の頭の中で浮かんでくる思いを何でも人に話そうとする前に、神様が何をされようとしているのかを知らなければなりません。多くの人たちが、偽の預言によって騙されてきました。ミカヤだけが預言したことを聞こうとしなかったアハブはどうなったでしょう? 神様が彼を死に追いやったのです。預言は私たち心の思いや願いを満たし喜ばせるものではありません。イエス様が私たちに語られようとしていることを聞くため、そして、私たちが正しく生きていくための神様からの指示です。不幸にも、アハブは自分の偽預言者たちの神様の言葉を装った預言に従ったために、その報いを受けることになってしまいました。 しかし、逆に、ヨシャパテは彼らが偽預言者であることを悟ることができたために死から免れたのでした。
適用:
私も預言は好きな賜物です。しかし、人が自分が預言者だと言って私に近づいてくる時には注意をすべきだと考えます。私たちがよく知っている人たちからの預言だとしても、ちゃんとそれが神様からのものなのかどうかをチェックすることが肝要です。私のために預言してくれる言葉だとしてもすぐにそれを信じることは良くありません。彼らからの言葉を見分け、それが神様からのものかどうかチェックをした上でそれを受け取るべきです。私も預言の賜物を持った友達が何人もいます。そして彼らが誠実に預言の賜物を持ち、使おうとしていることは分かっていますが、彼らからの預言だとしても、その預言について自分で神様に祈るようにしています。なぜなら、私自身が神様に対して、その言葉が神様からのものなのかテストすべき責任を負っているからです。
祈り:
イエス様、預言の賜物をありがとうございます。私は、毎日、あなたの御霊が預言の言葉を通して働かれ、動かれていることを知っています。あなたの言葉に従えるように、預言の言葉を見分ける霊を私に与えてください。私を高慢の罪から守ってください。あなたのみことばを愛し、あなたの御霊によって導かれるよう、私を助けてください。感謝します。アーメン!