自分の救いのためではなく、救いを達成するために努力する

聖句:

“こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、 いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。 たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。 同じように、あなたがたも喜んでください。私とともに喜んでください。” ピリピ人への手紙 2章12~18節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

観察:

この「恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。」というみことばを読む時、多くの人は救いのために働き務めるようにとパウロが励ましの言葉をかけてくれていると思っています。そのような人たちは、大事なポイントを外しています。救いのためにではありません。救いを達成するようにとパウロは言っています。

恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めるというのは、すでに救われている人を対象にしていることを暗に意味しています。それでは、どうすれば良いのでしょうか?鍵は、キリストとの関係を大切にし生きることです。パウロはこの章をこう始めています。「こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」

そして、続けて、こう記しています。「何事も利己的な思いや虚栄からするな、キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。」 健全な人間関係を保つため、キリスト・イエスと同じ思いを彼らは持たなければなりませんでした。 さらに、パウロは、「すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。」と。これこそが、キリストにある私たちの救いを達成するために必要なことなのです。何ごとも、自分の利己的な思いや、野心や、虚しい自負心からしようとしてはいけないのです。

私は、キリストの思いを持たなければなりません。神様のみこころと目的に従った人生を生きるため、私は、神様の御霊によって導かれなければなりません。キリストとの私の歩みにおいて、人間関係は極めて重要です。キリストと繋がっていること、そして、キリストのみこころと目的に従って人生を生きるということを常に念頭に置いていなければなりません。

今日の大切な気づきは、いつもキリスト同じような考え方や見方をすることです。へりくだり、人に仕え、従順で、常に神様の目的とみこころを自分の思いの前にもってくる。こんな人間にならなければなりません。このことは、救いを達成するために努力することについて最もチャレンイングな側面です。私は、全くキリストを映しているとは言えないような態度をとってしまっていることがあります。人に仕える態度を持たなければなりません。救いを達成するということの意味は、自分のことを虚しくすることで、私の中でキリストのような態度が増すことに他なりません。

適用:

キリストとの歩みの中でもっとキリストの存在が増していくような人になりたいです。まだまだキリストのようになるには道半ばです。私の願いは、神様のみこころと目的に従って生きることができるよう、日々、救いを達成すべく努力することです。 へりくだりを日々学び、イエス様を愛する人たちと思いを同じくすることです。

祈り:

天のお父様、恐れおののき救いを達成するために努力することとはなんなのか、今日の気づきに感謝します。どうか私を主イエス様のような人間にかたどって行ってください。へりくだることを私に教えてください。そして、恐れおののきつつ私の救いを達成するために努めることの思いを私に与えてください。あなたの目的を全うするため、私のうちにみこころのままに働き志を立てさせ、事を行わせてくださるよう、私を助けてくださる力となってくださっていることに感謝します。アーメン!