私たちは、知識とあらゆる識別力のうちに成長し、大切なことを見分けることができるようにならなければいけない。
聖句:
“私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。 あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、 あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。 あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。 あなたがたすべてについて、私がこのように考えるのは正しいことです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人たちであり、そのようなあなたがたを私は心に留めているからです。 私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。 私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、 あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。” ピリピ人への手紙 1章3~11節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
観察:
パウロとテモテは、ピリピのクリスチャンたちとそのリーダーたちへの深い感謝の思いを手紙にしたためています。彼らのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、 そして、彼らが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝していると。
パウロの祈りは単なる祈りではありませんでした。それは、ピリピの人たちへの慰めの言葉であり、そして、彼らに信仰への確信を与える源となるものでした。彼らのために祈ることにとどまらず、彼らの間で良い働きを始められた方であるキリストは、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると自分は確信している、と彼らを励ましていたのです。これは、良い働きを始められ、その日が来るまでにそれを完成させてくださるキリストについての確証です。
自分のキリストとの歩みを振り返ってみると、自分の成長のスピードの遅さに気持ちが落ち込んでしまいます。しかし、この一節は、私のうちに働かれているのはキリストであることを思い起こさせてくれます。キリストと共に協力し、自らをキリストのみわざとリーダーシップにゆだねることを学ぶことは、私にとってとても大切なことであり、刺激的なことです。キリストこそが、良い働きを始められ、それを完成までもって行ってかれるお方なのです。キリストのみわざにゆだねることを強調することで、パウロの言葉を聞いた人たちは、その霊的な歩みにおいて元気づけられます。
パウロこう祈っています。「あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、 あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となるように。」と。何が純真で非難されるとことのないものなのかを見分けることができるために、私の内にあるキリストの人生の歩みは、知識と識別力の深さの中で豊に成長をし続けなければいけないのです。
キリストにある人生とは常に成長を意識したものです。それは、何が純真で非難されるところのないものなのかを見分けることができる知識と識別力についてです。なぜ私が成長する必要があるのか。それは、私がイエス・キリストを通してもたらされる義の実で満たされるようになるためです。知識と深い洞察力を成長させることなしに、何が義で、何が純真で非難されることのないものかを見分けることはできません。義の実を結ぶ人生に私を導き、何が純真で非難されることのないものとは何かを見分けるための洞察力を持てるよう、イエス様が私の中で始められた良いみわざの知識のうちに、私はもっと成長していく必要があるのです。
適用:
私のイエス様との40年にわたる歩みの中で、私が何がイエス様を喜ばせることなのか、何が良いことなのかを見極めることを学ぶため、イエス様は、いまだに私にもっと成長し、知識を得て、深い洞察力を身につけるようにと呼びかけておられます。この私の人生の歩みは、私の中に働かれてきたイエス様のおかげで可能になったとしか言えません。私が日々義の実を結べるように、いかにキリストが私の中で働かれていたか、その知識をもっと享受し、成長していく必要があります。キリストがのみわざを遂行していくために、私は、聖霊の導きにゆだねます。
祈り:
天のお父様、あなたが私の中に始められた良きみわざについて思い出させてくださったこと感謝します。今日、私が、何があなたの目に純真で非難されるものがないものなのかを見分けられるよう、あなたが知識と深い洞察力の中で、私の成長を助けてくださるように祈ります。私の人生で何があなたを喜ばせるものなのか、何が義の実を結ぶために私を導くものなのかを学べるよう、私を導いてください。実際はそうではないのに、私が正しいとして受け入れてしまっているもの、そして、間違ったものをどう見分けたら良いのか、私に教えてください。イエス様のみ名によって、私はあなたと共にもっと成長していくことを願っています。アーメン!