神様の満ち溢れる豊さに満たされなければならない
聖句:
“天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前に祈ります。 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。 どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、 教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。” エペソ人への手紙 3章15~21節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
観察:
パウロは、牢獄からこの手紙を書いていました。自分がエペソの信者のために牢に繋がれていることで気を落とさないようにと、エペソの兄弟姉妹に宛ててこの励ましています。パウロは、福音を心から信じ、彼の人生の全てをこの福音のために捧げてきました。彼は、そのために牢獄にいることをあえて喜んでいることを伝え、そのことでパウロのことは心配しないようにと彼らを勇気づけようとしています。
信仰が理由で投獄されたような状況で、牢屋から手紙を書くことはそんな簡単なことではありません。パウロは何も悪いことをしていません。ただ、イエス様について宣べ伝えていただけです。パウロは牢屋に閉じ込められていたわけですが、内なる彼は牢に幽閉されてはいませんでした。パウロはこう言っています。「私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。」パウロは、彼を強くしてくれる神様にあっての自由と確信を見出していました。
パウロは、兄弟姉妹のための祈りの中で、自分の神様について力強く認めつつ、こう祈りました;
§ どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。信者の戦いは常に内なる闘いです。それをどうにかしようと自ら葛藤していると自分の魂が弱くなっていきます。私たちには、内なる自分を強めてくれる神様が必要です。
§ 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。
§ そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになるように。 私は信仰者として、キリストに根ざし、キリストに支えられていることを知らなければなりません。そこで、私の確信する希望が建てられます。 このことについての理解がなければ、内なる私は、さまざまなチャレンジによって、弱められてしまいます。
§ 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。キリストから学ぶことは本当にたくさんあります。私たち信者は、キリストについて学ぶことに関して際限がありません。キリストの愛を知るためには一生涯、もしくは、それを超えた時間がかかります。
§ 神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
神様は、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方であると、パウロはエペソの信者たちに素晴らしい励ましをもって祈りを締めくくっています。私たちが願うところを遥かに超えて行うことのできる神様というのはなんと力に満ちたものでしょう。神様は、昔、今、そして、とこしえまでの神様です。私たちが願うこと、また、私たちの人生で神様にして欲しいと思うこと以上のことを神様は行うことができる方です。
適用:
神様が自分に対してしてくれることを期待するより、神様のことをもっと知りたいです。私は私が生きている限り、神様の愛に根差し愛に基礎を置いていたいです。私はもっと深くイエス様を知っているべきなのに、そうではないようです。私の理解を遥かに超えることを神様にしていただきたいと思っています。
祈り:
天のお父様、私があなたのことをもっと知ることができるよう、私の内なる人を強め、私の心の目を開けてください。あなたがどんなお方なのか、その全ての点において、あなたのことを知ることができるよう助けてください。これまでより、もっとあなたのことをよく知ることができるよう教えてください。主よ、これらのこと全てイエス様のみ名によって祈ります。アーメン!