神様のみことばなしに、信仰の成長はない

聖句:

“なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」 ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。 「主の名を呼び求める者はみな救われる」のです。 しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。 遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか」とイザヤは言っています。 ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。 では、私は尋ねます。彼らは聞かなかったのでしょうか。いいえ、むしろ、「その響きは全地に、そのことばは、世界の果てまで届いた」のです。 では、私は尋ねます。イスラエルは知らなかったのでしょうか。まず、モーセがこう言っています。「わたしは、民でない者たちであなたがたのねたみを引き起こし、愚かな国民であなたがたの怒りを燃えさせる。」” ローマ人への手紙 10章9~19節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

観察:

キリストを信じる者たちのことを理解するには、信仰は極めて重要です。信仰がなければ、神様を喜ばせることはできません。また、神様を知ることすらかないません。パウロは、「ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。」と言っています。キリストはすべての人のために死なれたのです。私たちが、口でイエスを主と告白し、心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、私たちは救われます。 信仰は、何を信頼し、何を告白するかでのみ強くなるのです。

パウロの教えは、私たちの信仰の告白が単なる信仰の表明だけのものではないことを明らかにしています。それは、イエス様が不義の私たちを義とするために自らを犠牲にした私たちの主であることの深淵な宣言です。主であるイエス様に碇を下ろしていない信仰の告白は、本当の信仰の告白とは言えません。主としてのイエス様について告白し、神様が死からイエス様をよみがえらせたことを私たちの心の中で信じることが不可欠なのです。

救いの信仰の成長は、キリストのみことばに触れることと直結しています。パウロはこの点について強調していますが、それは明快で曖昧なとこはありません。パウロはこう言っています。「ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」キリストのみことばを聞き、それを理解すること以外、神様が望むような信仰を成長させるための道は他にありません。

キリストにあって、信仰をもっと成長させていくため、キリストのみことばを食していかなければなりません。自然人の人生では、好きな人、お気に入りのリーダー、また、そのような人たちが語る言葉に敬意を払ってしまいます。そのような人たちが発する言葉を多くの人たちは信用するように導かれます。同じように、信者としての私のため、イエス様のみことばは、私の信仰を成長させることのできる唯一のことばです。イエス様のみことばなしには、私の信仰は死んだものと同じです。

多くの人はイスラエルの人たちのようです。彼らはイエス様のみことばを信じませんでした。しかし、信仰者である私にとって、イエス様のみことばは何よりも重要であり、最優先すべきものです。イエス様のみことばは命のことばです。ですから、それには信じるための信仰を奮い立たせる力があります。 イエス様は、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな祝福されると言われています。

適用:

私の日々のデボーションは大事です。時々、私はただ聖書を読むだけになってしまうこともありますが、大体は忘れないように、読んだ箇所から学んだことを書き記しています。また、時には、何日か前に書いたことを読み直したりもしています。それによって、私の人生で、イエス様のみことばの力を見ることができ、励まされています。私の信仰が然るべく成長して生きるよう、私はイエス様のみことばを読み、耳を傾け続けていきたいと思います。私は、このデボーションの習慣をできるだけ日々続けていきます。

祈り:

イエス様、あなたのみことばに感謝します。あなたのみことばに耳を傾けることの大切さを今日改めて教えてくださり感謝します。どうかいつも私の心の中にあなたのみことばが宿りますように祈ります。どうか、あなたのみことばに聞き、そして、そこから学ぶ喜びを私に与え続けてくださいますように。あなたのみことばに日々従い、みことばに生きる心を私に与えてくださるよう祈ります。どうか私があなたのみことばをこよなく愛する人になれるよう助けてください。アーメン!